モロナイの約束

不思議なモロナイ書

モルモン書の通読はまさに苦行です。文章は下手くそ、同じ言葉の繰り返し、お話しは展開も結末もハチャメチャです。唯一読めるところは聖書の丸写しという悲しさ。ところが、最後の「モロナイ書」に至ると、内容の変異に驚きます。唐突に現代の読者に向かってのメタ的(客観的)語りかけと教会の諸儀式(バプテスマや聖餐式)の祈りの言葉はこうあるべしというマニュアルが登場し、締めくくりには「モロナイの約束」が登場します。この変容には戸惑いを覚えます。「ひょっとして、後の版から加えられたものか?」とも思ったくらいでした。(実際は初版から二版にかけて相当な変更はあったもののモロナイ書自体はありました)
もともと『モルモン書』の編集者とされるモルモンは、「モルモン書(第9章)」の最後で完結と決別の言葉を述べています。しかし、その後に息子のモロナイが「エテル書」と「モロナイ書」を書き加え、さらにそのモロナイ書の終わり(第10章)で再び完結の挨拶と「約束」を述べるという構成になっています。まあ、蛇足の最たるものですが、ジョセフにはなんらかの事情あったのでしょう。

モロナイのマインドコントロール

宣教師からモルモン書を手渡されたとき、最初に序文の以下の箇所を読まされることでしょう。所謂「モロナイの約束」と呼ばれる箇所です。

わたしたちはあらゆる地に住むすべての人に、『モルモン書』を読み、この書物に含まれている教えを心の中で深く考え、そして、この書物が真実かどうか、キリストの名によって永遠の父なる神に問うようにお勧めする。この手順を踏んで、信仰をもって問う人々は、『モルモン書』が神から与えられた真実の書物であるという証を、聖霊の力によって得るであろう(モロナイ書第十章三-五節)

さて、このモロナイの約束こそモルモン書の最大の「罠」なのです。
「祈って『真実だ』と感じたらモルモン書は本物。『何も感じない』または『偽者だと感じた』場合は、祈り手側の『熱意や信仰が足りない』ことになる」。最初から『真実となる』という結論になるように設計されているからです。

そもそも、この約束を実行せよと言ってくる宣教師たちもいい加減なもので、ほとんどがモルモンファミリーでの常識と世間体で伝道に出た(出さされた)連中です。キリスト教は無論、モルモン教の教義もろくに知ってはいません。伝道前に初めて聖典を読んだのもざらです。彼らは宣教師訓練センターで短期集中訓練を受けて伝道地に放り出されます。まともなことができるはずもありません。
訓練センターで仕込まれるのがこの「モロナイの約束」によるテクニック一本です。これなら誰でもできます。(「心が熱くなりましたか?」「もっと祈りましょう」と迫れば良いのですから)

「(モルモン書は)真実である」という結論しか出ないようになっているのですから、これに乗ってはいけません。「祈りもするが、理性で判断する」ことを表明すべきです。
現実、今まで何万人の人がモルモン書を受け取って来たでしょう。しかし、モルモン教信者数はわずかです。ほとんどの人が「真実でない」との結論を出しているのです。

迫るモロナイ

あんた誰!

マインドコントロールから引き返そう

「祈って熱い思いを持ったので、モルモン書が真実だと思った」。それがモルモンでいることの理由ならなんの根拠にもなりません。マインドコントロールされているだけです。モルモン書がインチキであることは徹底的に証明されています。
勇気を持って引き返しましょう。

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