ジョセフ・スミスの「最初の示現」に隠された矛盾

所謂「最初の示現」ついてモルモン教団(末日聖徒イエス・キリスト教会)は以下のように述べています。

1800年代の始め、アメリカ合衆国では宗教に関するひどい騒ぎがありました。ジョセフの家族はそれぞれ異なる教会に加わっており、ジョセフはどの教会に加わるべきか決めかねていました。当時14歳のジョセフは,どの教会に加わるべきかが分かるよう祈ったとき、
「わたしは自分の真上に,太陽の輝きにも勝って輝いている光の柱を見た。そして,その光の柱は次第に降りて来て,光はついにわたしに降り注いだ。……そして,その光がわたしの上にとどまったとき,わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると,そのうちの御一方がわたしに語りかけ,わたしの名を呼び,別の御方を指して,『これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい』と言われた。」光が現れた瞬間,ジョセフは自分を縛っていた敵から解放されたのを感じました。それから数日間,ジョセフは大きな喜びと愛を感じました。」

このように、神(天父)とその御子イエス・キリストが現れたと言っています。この話しは1838年にジョセフ・スミスが述べたとされています。
しかし、史的事実は大いに違っているのです。
1832年のジョセフ・スミスの日記によれば、出現したのはイエス・キリストひとりであったと記載されています。

1832年のジョセフ・スミスの日記史料
▲ イエスひとりだけの出現を記録した1832年の最古の日記史料

① 登場人物の矛盾:1人から2人への「増殖」

ジョセフ・スミスが最初に書き残したとされる最古の記録(1832年の日記)には、驚くべきことに「主(イエス・キリスト)一人しか登場しない」という決定的な事実があります。

記述の時期 現れた人物 祈りの目的
1832年(最古の日記) イエス・キリストひとりだけ 自分の罪の赦しを求めるため
1838年(現在の公式版) 父なる神とイエス・キリストの二人 どの宗派が正しいか知るため

② 動機の矛盾:罪の赦しか、正しい宗派の探求か

1832年の日記では、当時15歳(正しくは14歳で誤記だろう)のジョセフは「自身の罪の赦し」を求めて森へ行き、イエスから「あなたの罪は赦された」と告げられます。ここでは「どの教会が正しいか」という疑問は持っていません。しかし、12年後に執筆された1838年の公式版では、最初から「どの宗派が正しいのかを尋ねるため」に森へ行ったことになっています。

神との遭遇という人類史上最大の出来事であれば、このような記憶違いが起こるはずもありません。そこには明確な意図が見て取れます。
少年の頃のお話しは正統キリスト教会の教えに基づく三位一体に基づいていたからです。その後、ジョセフは三位一体説から離れたためにこうした自らによる改ざんを行ったのです。
そして、もっとも重要なことは、このような重大事が変遷するお話しは事実とは思えないということです。

④ 「すべての教会が間違っている」と知ったタイミングの矛盾

1832年稿の記述では、ジョセフ・スミスは、聖書を自分で調べることで、森に入る「前」からすでに「世のすべての教会は人間の建てたものであり、神の真の教会は地上に存在しない」という結論に自力で達していたと書いています。

ところが、1838年稿(公式の記録)では、森で二人の御方が現れた際に、「どの教会にも加わってはならない。それらはすべて間違っているからだ」と告げられ、そこで初めて真実を知って驚いたという展開になっています。動機と展開の整合性が完全に崩れており、明らかな矛盾です。

⑤ 歴史的な議論と「隠蔽」の背景

この1832年稿は、ジョセフ・スミスがノートに直接書いたものであって、言い逃れのできない決定的な一次史料です。

【歴史の闇:破り取られた日記帳】

あまりにも公式発表(1838年稿)とのギャップが大きかったため、1930年頃に当時の教会幹部(のちの大管長ジョセフ・フィールディング・スミス)によって、日記帳からこの記述がある数ページが物理的に破り取られ、歴史編纂室の金庫室に長年極秘裏に隠されていたのです。

1960年代にその事実が外部の歴史学者や批判グループ(Jerald and Sandra Tanner夫妻の『Utah Lighthouse Ministry(ユタ・ライトハウス・ミニストリー)』など)によって暴露され、教会も写真付きで一般に広く公開せざるを得なくなりました。

現在教団側は、「ジョセフ・スミスの記憶の違いや、語る相手によって強調するポイントを変えただけである」という非常に苦しい言い訳を展開しています。最も重要であるはずの神聖な出来事が、なぜ指導者によって物理的に引きちぎられ、金庫に封印されなければならなかったのか。その事実自体が、この文書の持つ不都合な真実を証明しています。

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