詐欺で有罪判決を受けたジョセフ・スミス
ジョセフ・スミス青年は「埋蔵金を発見するための占い師(Glass Looker)」としてジョサイア・ストーウェル(Josiah Stowell)なる人物に雇われていましたが、1826年にトーウェルの親族(ピーター・ブリッジマン)から「ジョセフはストーウェルを騙して金を巻き上げている」として訴えられ、逮捕され裁判を受けることになります。彼は有罪(guilty)の判決を受けてしまいます。判決の結果は残されていないようですが、居住地を去ること命ぜられたようで、ジョセフはベインブリッジ(チェナンゴ郡)を追われてしまいます。
1. 始まり:雇い主ジョサイア・ストールとの出会い
1825年後半、ニューヨーク州ベインブリッジに住む裕福な農夫ジョサイア・ストール(Josiah Stowell)という人物が、若きジョセフ・スミスの「噂」を聞きつけます。当時、ジョセフは「特別な石(見者の石)を帽子の中に入れ、そこから放たれる光によって、地中に埋まった宝や紛失物の場所を言い当てることができる」という能力を売りにしていました。
ストールは、かつてスペイン人が掘り残したとされる銀鉱(伝説の財宝)がペンシルベニア州ハーモニーの近くにあると信じ込んでおり、ジョセフの「霊能力」を使ってそれを見つけ出そうと考えました。ストールはジョセフを時給(月給14ドル+下宿代)で雇い、銀鉱掘りの発掘チームに引き入れます。
2. 「見者の石」を使った詐欺的トリック
ジョセフはストールたちを先導して発掘作業を行いましたが、当然、銀鉱は一向に見つかりません。そこでジョセフは、当時の「宝探し屋(マネー・ディガー)」がよく使った以下のような言い訳(トリック)を繰り返しました。
- 「宝の守護霊(精霊)が怒って、宝を地中のさらに深い場所へ沈めてしまった」
- 「誰かが発掘中に余計な声を出したため、魔法が解けて宝が消えた」
雇い主であるストールは純朴な性格だったため、ジョセフのこの言い訳を完全に信じ込み、彼を擁護し続けました。しかし、周囲の人間は冷静でした。
3. 親族による告訴と逮捕
ストールの甥であるピーター・G・ブリッジマン(Peter G. Bridgman)という人物が、ジョセフの行為に激怒します。「この若者は霊能力などない詐欺師であり、叔父の財産を食い潰している」と確信したブリッジマンは、地域の平和と叔父の財産を守るため、地元の治安判事アルバート・ニーリーにジョセフを告訴しました。
容疑はニューヨーク州の法律における「不審者および詐欺師(Disorderly person and impostor)」。具体的には「手相見や占い、あるいは失せ物探しの技を自称して他者を欺く者」に適用される罪でした。これにより、1826年3月、ジョセフ・スミスは逮捕され、ベインブリッジの法廷に立たされることになります。
※1826年の治安判事による尋問および司法記録(イメージ)
4. 1826年3月20日の裁判(尋問)
裁判では、複数の目撃者がジョセフの「宝探しの実態」を証言しました。ジョセフ本人も尋問に対し、「確かに自分は石を帽子に入れて宝を探す仕事をしてきたが、最近は目が疲れのでその仕事を辞めようとしている」といった旨の供述をしています。
面白いことに、被害者であるはずの雇い主ストールも証人として出廷しましたが、彼はマインドコントロール下にあったため、「ジョセフの能力は本物だと信じている」と彼を庇う証言をしました。しかし、客観的な証拠と周囲の証言から、ジョセフが「実体のない能力を騙って報酬(給与)を得ていた」事実は明らかでした。
5. 判決:有罪、そして「町からの追放」
判決の正確な法的処分については、当時の新聞に掲載された記録から「Guilty(有罪)」であったとされています。ただし、当時のニューヨーク州法におけるこの罪は、重罪として監獄に長期間入れられるようなものではなく、一種の軽犯罪・風紀紊乱罪に近い扱いでした。
そこで、ニーリー判事と執行官が下した実質的な処分が「町からの退去(追放)」でした。これを裏付けるのが、1971年に発見された執行官フィリップ・デ・ゼンの請求書です。そこには、裁判の後にジョセフに対して「ミティマス(Mittimus)」を執行した費用が請求されています。
「ミティマス」とは本来、囚人を刑務所に送るための令状ですが、当時の田舎の地方自治体では、これを利用して「これ以上この地域で詐欺を働いて問題を起こさないよう、郡の境界線まで連行して追い出す(事実上の国外退去処分)」という手続きを取ることが一般的でした。
結果として、ジョセフ・スミスはベインブリッジ(チェナンゴ郡)を追われ、すごすごと実家のあるパルマイラへと戻るか、あるいはペンシルベニアへと移動せざるを得なくなりました。